カジノ法制定記念≪日本パチンコ伝≫









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日本にカジノができたら、パチンコはどうなるのか?その1
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〈日本機械学会論文発表〉

日本機械学会第1回論文発表 
日本機械学会第2回論文発表
日本機械学会第3回論文発表
日本機械学会第4回論文発表


〈図版〉

◆ 「日遊協」2011年10月号掲載、論文発表記事
「遊技通信」2011年11月号掲載、論文発表記事

 
〈著書〉

『パチンコ誕生 シネマの世紀の大衆娯楽』
『戦前からあった台湾のパチンコ』


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 <日本にカジノができたら、パチンコはどうなるのか? その11>




 


◎1948(昭和23)年の風営法


  1945(昭和20)年8月15日、日本無条件降伏。大日本帝国憲法が効力を失う。1946年11月3日、日本国憲法公布、翌47年5月3日、日本国憲法施行。
 進駐軍の兵士の性病感染で、連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥は、46年1月、日本政府に公娼を廃止させた。これにより、これまであった遊廓他がカフェーに移行した。
 一方でマッカーサーは、日本政府にジャズとダンスホールを要請。こうして1940(昭和15)年以来禁止となっていたダンスホールが復活する。


 

















1948年7月10日公布の「風俗営業取締法」の天皇陛下のご署名原本


 上図は、1948年7月10日に公布された「風俗営業取締法」の天皇陛下のご署名原本である。「裕仁」の下に御璽(ぎょじ)もある。これは国立公文書館のデジタルアーカイブより引いた。
 風俗営業取締法は、法律第122号として1948(昭和23)年9月1日より施行。
 第1条には、「この法律で、風俗営業とは、左の各号の一に該当する営業をいう」「一 待合、料理店、カフェーその他客席で客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」「二 キャバレー、ダンスホールその他設備を設けて客にダンスをさせる営業」「三 玉突場、まあじやん屋その他設備を設けて客に射幸心をそそる虞のある遊技をさせる営業」とある。
 日本には待合、料理店、カフェー、キャバレー、ダンスホール、玉突場、麻雀屋、パチンコ等の遊技場が戦前からあった。だがキャバレーだけは、ダンス、生バンド、ステージショー禁止で、せいぜいエロが売りのカフェーにとどまり、実質的には存在しなかった。マッカーサー元帥の要請により、日本にキャバレーが生まれたのである。
 ダンスは、ダンスホールのみでなく待合、料理店、カフェー、キャバレー等でも行われていた。終戦直後のダンスホールやこれらの店は、売買春の温床であった。これについては、「日本にカジノができたら、パチンコはどうなるのか?その7」の「◎玉の出るパチンコと七七禁令」の〈bR田中英光が記録した「射的屋&パンパンダンサー」〉をご覧いただきたい。

 

◎ダンス規制に関する緩和


 カジノは、2020年の東京オリンピックまでにオープンする予定である。カジノは現在、先進国では当たり前に存在している。同様に日本で、戦前戦中禁止されていたダンスも、現在は小中学教育に取り込まれるほどになっている。ダンスは人類の文化である。ところが日本でのダンス営業は風営法で、これまで厳しく規制されていた。規制の主な理由は売買春とダンスが結びついていたからである。
 日本では、ダンス教室も風営法で取り締まられている。だが、社交ダンス教室は1996年の映画「Shall we ダンス?」(周坊正行監督)のヒットで、1998年に風営法から除外された。だが、ほかのダンス教室の規制はまだ続いている。外国から見たら、考えられない非文化国家の状況である。

 パチンコ業界は、民間カジノができる今こそ、パチンコの歴史を映画化し、パチンコの歴史を宣伝すべきである。周坊監督の最新作「舞妓はレディ」が公開されるが、舞妓が売春と繋がっていたことは誰もが知るところである。パチンコが香具師(やし)と結びついて発展し、日本の大衆娯楽になったことを描いたからといって、パチンコのイメージダウンには繋がらない。それどころか、カジノができる今こそ、日本が誇るギャンブルマシン、パチンコの大宣伝になる。映画を撮影する際、戦前のパチンコ台が必要なら、私のもつパチンコ台をいつでもお貸しする。

 カジノがオリンピックの外国人客のおもてなしとして生まれようとしているが、もう一つのおもてなしに、クラブ等のダンス場に焦点が当てられている。
 2014年6月24日に閣議決定された「規制改革実施計画」に、ダンスに関わる風営法の見直しが盛り込まれた。それを踏まえ警察庁は、秋の臨時国会に改正法案を提出する方針で、ダンス規制に関するパブリックコメントを広く募集した。それを受け、警察庁の有識者会議は新たな規制方針をまとめ、2014年9月10日、報告書を警察庁に提出した。うれしいことに、ダンススクールが風俗営業ではなくなるようだ。
 これについては、各新聞が同日の夕刊や11日の朝刊で、かなりの紙面をさいて掲載している。風営法そのものを解説しているのは、9月10日の東京新聞の夕刊である。


     2014年9月10日 東京新聞夕刊               


 風営法の解説には、「ダンスと飲食を提供する『ナイトクラブ』、ダンス設備のみを提供する『ダンスホール』のほか、パチンコ店などが該当する」とある。警察庁の有識者会議がまとめた報告書によれば、ダンススクールを風営法の規制対象から除外する見通し、また、ダンスと飲食を提供するナイトクラブ等は、明るさを10ルクス以上にすれば、これも規制対象から除外するという見通しという。




           
 上図は9月10日の日本経済新聞の同報道である。この記事には、客にダンスをさせる営業の具体的な種類と店の軒数が載っている。これまで通り風俗営業として残るのは、キャバレーなどの2602軒とキャバクラなどの64349軒である。照明の明るさで風俗営業と分かれるのは、ナイトクラブなどで、391軒とある。ダンスのみを行うダンスホールや教室などは140軒で、風俗営業から除外する見通しであるという。

 ダンス規制の除外を推進したのは、坂本龍一氏ら音楽家が、2012年5月以降、「ダンスは文化だ」と規制の対象からダンス営業を外すことを求める運動を展開していたことによる。

 秋の臨時国会では、このダンス規制の風営法改正と、カジノ推進法案が決定される見通しである。ダンス関係者はこの改正で、ダンス文化が一歩向上するととらえている。

 「日本パチンコ伝 第1章」をお読みいただきたいのだが、パチンコの元の、ウォールマシンの元になったバガテールは、パチンコ以前にビリヤード(玉突き)、バガテール(玉ころがし)とともに日本に伝来し、営業されていた。それを取り締まったのは警察である。玉ころがしはパチンコが禁止される前に禁止となっているが、ビリヤードは脈々と引き継がれ営業された。1948(昭和23)年の風営法では、「玉突場」と明記されていた。
 ところが、ビリヤードといえば、紳士のスポーツで、風営法に入っているのはあまりにも不自然だったので、1955(昭和30)年に風営法から外された。
 風営法にパチンコ名が初めて登場するのは、1954(昭和29)年のことで、風営法一部改正には、「『まあじやん場、たまつき場その他の施設で総理府令で定めるもの』を『ぱちんこ場、まあじやん場、たまつき場その他総理府令で定める施設』に改め」とある。だが、このときすでにパチンコ店は全国に4万軒以上あり、ヤクザが客から景品のタバコを現金と交換していた。警察当局は連発式とオール20の禁止令を出した。昭和30年から実施されると、パチンコ店は1万軒に激減。一方ビリヤードは、紳士のスポーツとなった。
 
 現在、パチンコは1959(昭和34)年に出された風営法の一部改正で、「7号営業」となっている。7号営業とは、パチンコ店や麻雀店などを指し、景品を出すことを許可されている。
 ゲームセンターが風営法に入ったのは、1984(昭和59)年のことである。ゲームセンターなどは「8号営業」で景品を出すことを禁じられている。

 秋の臨時国会のカジノ推進法案の審議では、風営法で規制されているパチンコの換金の見直しの論議が必ず起こることであろう。自民の、換金させるから税金を出せという論理は、カジノはカジノ、パチンコはパチンコで今まで通り営業せよということなのであろうか。
 パチンコは神社仏閣の境内のように神聖で、リゾート地のような非日常のカジノに置かれるのが最もふさわしい。




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