カジノ法制定記念≪日本パチンコ伝≫









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日本にカジノができたら、パチンコはどうなるのか?その1
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〈日本機械学会論文発表〉

日本機械学会第1回論文発表 
日本機械学会第2回論文発表
日本機械学会第3回論文発表
日本機械学会第4回論文発表


〈図版〉

◆ 「日遊協」2011年10月号掲載、論文発表記事
「遊技通信」2011年11月号掲載、論文発表記事

 
〈著書〉

『パチンコ誕生 シネマの世紀の大衆娯楽』
『戦前からあった台湾のパチンコ』


更新情報


プロフィール

 


 <日本にカジノができたら、パチンコはどうなるのか? その13>




 

◎カジノ推進法案、今国会成立断念


 今やパチンコは、世界語となり、外国人は日本の民間ギャンブルはパチンコと認識している。外国人は、日本にカジノができたら、当然カジノにパチンコが入ると考えていることであろう。カジノはパチンコのすばらしさを世界にアピールするチャンスである。
 だが、肝心のカジノ推進法案が成立しなければパチンコの不透明な換金問題がこのまま持続するだけで、長い歴史をもつパチンコが世界の表舞台に立つことはない。
 私は、パチンコ依存症をなくすためにも、パチンコホールまるごとがカジノに入るべきと考える。

 ところが、今国会でのカジノ推進法案の成立はなくなった。
 








2014年11月4日の産経新聞より

 2014年11月4日の産経新聞の見出しには、「閣僚辞任で審議遅れ/自民にも慎重論 カジノ法案『今国会は無理』」とある。「閣僚辞任」というのは、小渕優子経済産業相と松島みどり法相の「政治とカネ」問題による辞任騒動のことである。カジノ法案が成立すれば、二人の大臣のポストは非常に重要である。にも関わらず、ダブルでいきなり辞任したのであるから、カジノ法案が今国会では無理というのもやむをえない。
 
 はっきり、成立しないという報道は、11月6日の毎日新聞に詳しい。


































2014年11月6日の毎日新聞より


 ここには、「議員立法『統合型リゾート(IR)整備推進法案』(カジノ法案)の今国会での成立を断念し、来年の通常国会での成立を目指す方針を固めた」とある。同新聞は、「与党国対筋は『時間切れで先送りせざるをえない形にするシナリオを、関係者の多くが望んでいる』と語った」で締めくくっている。

 賭博行為が良いか悪いかは、個人の倫理観の問題である。だが、賭博行為そのものは、霊長類の中で、人間だけに与えられたすばらしい能力で、人間の一部である。賭博行為を否定することは人間を否定することにつながる。
 日本の警察は風営法を拡大解釈し、パチンコの換金を暗黙の了解の内に認めてきた。今や、特殊景品による換金は、誰でもが知るところであるが、昭和初期のパチンコは、台から玉ではなく直接現金やトークン(代用貨幣)が出た。あからさまな賭博なので、現金の出るパチンコはすぐに禁止となる。だが、トークンの出るパチンコは地方によっては戦後まで続いていた。
 玉の出るパチンコは、昭和12年に生まれた。パチンコ業界がコリントゲームがパチンコの元と語るのは、コリントゲームの玉による景品交換を参考にし、パチンコ台から玉が出るようにしたからである。コリントゲームを知らずして、玉の出るパチンコ語れない。

 それでは、コリントゲームとは何かということになる。
 日本では、スマートボールもピンボールも、コリントゲームと呼ばれていた時期がある。日本人は、パチンコはイメージできても、コリントゲームの概念が一定していないので、コリントゲームをはっきりイメージすることができない。
 コリントゲームについての正しい情報がないために、パチンコとコリントゲームの関係は、これまで曖昧模糊となっていた。


◎『コリントゲームシリーズT コリントゲームと人生劇場』

 ここで私の新刊電子本、『コリントゲームシリーズT コリントゲームと人生劇場』を紹介したい。これは『戦前からあった台湾のパチンコ』に続き、11月9日にキンドル出版より出版したものである。この本の目次と「はじめに」を載せ、広告に代えさせていただく。
 私は、この電子本の「コリントゲームシリーズ」で、コリントゲームがいつ、どこで、誰によって作られ、いつ玉の出るパチンコに発展したかを、余すところなく述べる予定である。
 




 コリントゲームシリーズT
コリントゲームと人生劇場

目次

はじめに
  ●コリントゲームを知っていますか?
  ●コリントゲーム遊戯場
  ●人生劇場
第1章 コリントゲーム大流行
 @ 岡本一平の描いたコリントゲーム大会
  ●「新渡戸博士重態」「五・一五事件海軍公判終る」
 A 雑誌「キング」のコリントゲームの懸賞品
 B 雑誌「実業之日本」の「財界コリントゲーム」「王國コリントゲーム」
 C 文学に現れたコリントゲーム
  ●菊池寛の『三家庭』(昭和8〜9年、東京朝日新聞に連載)
  ●北村小松の『情炎の都市』(昭和9年、中央公論社)
  ●吉村冬彦の『触媒』(昭和9年、岩波書店)
  ●深田久彌の『津軽の野づら』(昭和10年、作品社)
  ●田中英光の『オリンポスの果実』(昭和15年、「文学界」に発表)
 D 吉田信夫著『鶴の昇天』
第2章 昭和9年の「婦人公論・新年号」附録「家庭遊戯全集」
 @ 「家庭遊戯全集」のコリントゲーム
  ●家庭遊戯全集
  ●男装の麗人
  ●スピンピン・テーブルゲームとナーナー
  ●コリント・テーブルゲーム
  ●ミリオンダラーゲーム
  ●コリント・カード・ゲーム
  ●満州国国旗
 A 新潟のある女学生の「家庭日記」
  ●紀元2600年
第3章 コリント商会のコリントゲーム
 @ 城夏子の「コリント流行風景」
  ●コリント・テーブルゲームの共箱
  ●1回3銭の屋台のコリントゲーム屋
 A コリント商会製のコリントゲーム
  ●登録商標 コリント・テーブルゲーム
  ●コリント・テーブルゲームの二つのルール
  ●ジェネラルゲーム(一般的ゲーム)以外の遊び方
  ●コリント商会の住所と電話番号
第4章 コリントゲームの特許
 @ コリントゲームの特許(実用新案)
 A 馬込文士村
 B バガテール
 C 小林腦行のコリントゲームは昭和7年の誕生か?
  ●電話帳によるコリント商会の調査
  ●『鯛焼屋騒動』
 D 小林製薬と小林腦行
  ●小林腦行が電話帳から消えた!
  ●最後の小林腦行本社
第5章 やはりコリントゲームは昭和7年に誕生した
 @ コリント商会の工場 ――やはりコリントゲームは昭和7年に誕生――
  ●コリント商会のコリント・テーブルゲームは、いつ頃から作られ始めたのか?
 A バガテールから発したコリントゲームとピンボール
  ●コリントゲーム名称の継承
 B 都筑道夫著『昨日のツヅキです』
  ●コリント商会がコリント・カード・ゲームの次にとった特許
  ●ボールパズル
  ●コリント商会の特許第3弾
  ●シャヴ・ハッペニー
  ●臼井に取材した都筑道夫
  ●コリンシアン・バガテール
第6章 コリントゲームと人生劇場
 @ 大森の臼井宅と馬込文士村、そして三島由紀夫
 A 三島由紀夫と小林腦行「煙出し片腦油」と横尾忠則
 B 私は田村質店で、「臼井さんをご存じですか?」と尋ねた
  ●コリントゲームと、それぞれの人生劇場
 C 尾崎士郎が『人生劇場』に至るまで
  ●「けんかえれじい」
  ●オリンピックへの期待をこめたコリントゲーム
終章 コリントゲームの元、コリンシアン・バガテール
 @ コリンシアン・バガテール21T
  ●コリンシアン・バガテールの特許
  ●コリンシアン・バガテールの特許、日本上陸
 A 不世出のビリヤードチャンピオン、ウォルター・リンドラム
 B ビリヤードの隆盛とバガテール
  ●バガテールの日本伝来
 C コリンシアン・バガテールの元、フィンランドの「フォルトゥナ」
  ●日・英、全く同じのコリントゲーム
  ●フォルトゥナ



   はじめに

 ●コリントゲームを知っていますか?
 戦前、コリントゲームという、日本国中で遊ばれ、人気を博した遊戯器があったことをご存知であろうか。今はその名を聞いても、ほとんどの人がわからないが、これがパチンコの元になったといわれたことで、かすかに記憶に残っている年配の方もいらっしゃるのではあるまいか。
 パチンコは、昭和初期、日本で生まれた独自の遊技機である。パチンコは第二次世界大戦後、日本の大衆娯楽として大発展した。だが、そのルーツは、平成の時代になってもわからず、パチンコ業界では長い間、コリントゲームが元であると報じていた。
 平凡社発行の『アポロ百科事典 全三巻』(1970年)には、パチンコとコリントゲームについて、次のようにある。

 パチンコ (1)娯楽遊戯具。ガラス張りの長方形の箱の下部から、ばねで小鋼球をはじき上げ、多数の小さな釘に囲まれた当り穴に入ると多数の球が戻る仕組のもの。球は種々の景品と交換でき、大衆の射幸心をそそる遊戯として、戦後日本各地で大流行。→コリントゲームが起源。(2)二股の小枝などの支軸にゴムひもをつけ、小石等をはさんで飛ばす玩具。

 コリントゲーム 室内遊戯具。わずかに手前に傾斜した逆U字形の盤に、10個の穴をあけ、穴の周囲などに釘を打っておく。盤の右下隅から小さな棒で球を盤上に打ち出し、球が穴に入った結果で得点を競う。欧米でピンボールゲームとして行われていたものを、小林脳行(株)が輸入改良し、小林の名をもじったコリント商会から発売、一九三三〜三五年大流行し、後の→パチンコの起源となった。









図は-1 コリントゲーム

 図は-1は、コリント商会製のコリントゲームである。もともとが寝かせて遊ぶボードゲームの遊戯具であるが、見やすくするために壁に立てかけ、右下隅の玉を打つキューの上に、玉を乗せた。
 百科事典は、コリントゲームをパチンコの起源としている。コリントゲームは、今も小学校の図工の教材として作られているが、戦前に日本で大流行していたことを知る人は少ない。
 長いこと、パチンコのルーツはコリントゲームといわれてきたが、2008年、私は、『パチンコ誕生 シネマの世紀の大衆娯楽』(創元社)を出版し、パチンコの元が外国のウォールマシンであることを明かした。そしてウォールマシンがいかにしてパチンコに発展したかを記した。だが、コリントゲームがどこで、どのように誕生したのかは、紙面の都合で書くことができなかった。1970年発行の『アポロ百科事典』にある「欧米でピンボールゲームとして行われていたもの」というのは、70年代に、おもちゃ等、ボードゲームのピンボールとコインマシン化したピンボールマシンを一括りにピンボールと呼んでいたからである。
 コリントゲームはキューで玉を突くが、ピンボールはバネの発射装置で玉を弾くものである。












図は-2 コリントゲーム(昭和7年)

 図は-2は、コリントゲームで遊んでいる家族の写真である。コリントゲームは写真のように寝かせて遊ぶものであるが、キューで玉を打ち上げ穴に入れるゲームなので、玉を打つ方にわずかに傾斜している。この図は講談社発行の『週刊YEAR BOOK 日録20世紀 ヒット商品一〇〇年ブランド』(1999年)より転載させていただいた。写真下には提供の朝日新聞社名があり、「今日も家庭でコリントゲーム(昭和7年)」「縁日などにも登場、人気を博した」と記されている。
 百科事典には、コリントゲームが「室内遊戯具」とあるが、コリントゲームはパチンコ同様、縁日の風物詩であった。さらにパチンコ同様、縁日等の露店営業だけでなく、屋内の遊技場営業もあった。
 
 ●コリントゲーム遊戯場












図は-3 昭和9年頃のコリントゲームの遊技場

 図は-3の写真は、「ぱちかる」(イープロジェクト、2005年)の創刊号より転載させていただいたコリントゲームの遊技場である。垂れ幕に「戲」とある。初めパチンコやコリントゲームの営業者は、「遊戯(戲)場」と表記していたが、取り締まる警察は、「遊技場」を用いた。記事には、この写真の場所や年代については何も書かれていない。だが、壁に貼られている映画ポスターが昭和9年に封切られた溝口健二監督の「愛憎峠」なので、この写真は昭和9年頃のものと思われる。最寄りの映画館の入場券を景品にしていたのかもしれない。
 コリントゲーム1台ごとに、ビリヤードのようにゲーム取りの女性がついている。この女性は客に玉を渡したり、点数を数えたり、穴に入った玉を元に戻したりした。
 コリントゲームが流行した後、コリントゲームとピンボールが合体し、スマートボールができる。スマートボールはコリントゲームと呼ばれていた時期もあった。
 初めパチンコは、台に玉が1個しかなく、その玉は台から外に出るものではなかった。出てきたのは、現金やトークン(代用貨幣)であった。現金等が出るパチンコはあからさまな賭博なので、警察当局が禁止する。昭和二桁になると、台から玉の出るスマートボールが登場する。スマートボールはコリントゲーム同様、玉と景品を交換するシステムであった。このシステムを真似、パチンコの第二の誕生ともいうべき、台から玉の出る、今では当たり前になったパチンコ機が登場する。
  パチンコの業界人が、コリントゲームとともにスマートボールをパチンコの元という理由がここにある。

 ●人生劇場
 この電子書籍、『コリントゲームシリーズT コリントゲームと人生劇場』は、コリントゲームの元がイギリスのコリンシアン・バガテールであることを明かすとともに、日本でコリントゲームを最初に作った会社、コリント商会と、その周辺を綴ったものである。コリント商会の社長宅の近辺には、当時、多くの文士が住んでいた。コリントゲームが製造され、爆発的にヒットした頃、尾崎士郎がこの地で、代表作『人生劇場』を書いている。
 コリントゲームを知らずして、パチンコの歴史は語れない。




 この本は、200ページを超えるもので、貴重な図版もあり、前回の『戦前からあった台湾のパチンコ』(200円)に比べると、一段と読み応えがあります。ですが、値段は300円です。お読みいただければ、幸いです。




*無断での転載を禁ずる。 
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