カジノ法制定記念≪日本パチンコ伝≫









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〈図版〉

◆ 「日遊協」2011年10月号掲載、論文発表記事
「遊技通信」2011年11月号掲載、論文発表記事

 
〈著書〉

『パチンコ誕生 シネマの世紀の大衆娯楽』
『戦前からあった台湾のパチンコ』


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 <日本にカジノができたら、パチンコはどうなるのか? その14>




 

◎松尾貴史のちょっと違和感


 毎日新聞の「日曜クラブ」の「松尾貴史のちょっと違和感」は、私の好きなコラムである。毎回、放送タレントで雑学の大家、松尾貴史が、自身のイラストとともに身近な違和感をテーマに、読者に問題を投げかけている。
 2014年11月9日の同コラムは、谷啓が「ガチョーン!」と言っているようなイラストがあり、「パチンコファンはブロイラー?」という見出しである。
 
       2014年11月9日の「松尾貴史のちょっと違和感」

 松尾の谷啓のイラストには「この人は何をしているのでしょう」とあり、サブタイトルに「ヘンソク打ちはやめてくだはぁい」とある。
 パチンコの愛好家には、イラストとヘンソク打ちですぐ察しがつくのであるが、谷啓はガチョーンをやっているように見えるが、実はパチンコの電動式ダイヤルハンドルを回しているのである。
 「ヘンソク打ち」とは、ダイヤルを回したり、止めたりする打ち方である。
 松尾は、ホールの従業員にヘンソク打ちを「高圧的な口調でおこられ」、「なぜ、自分のリズム、テンポで打ってはいけないのだろうか。遊技施設に金を落とすブロイラーのような状態で時間を過ごすのは楽しいのだろうか。私には理解できない」「多くのパチンコファンは、どういう気持ちで時間と金を費やしているのか、それが知りたい」と書いている。
 
 パチンコファンの気持ちを理解できない松尾が、なぜパチンコをやっているかということだが、彼は次のように書いている。

 地方で仕事があって電車の時間まで小一時間あるが、腹も空いていないし休憩するようなところも見当たらない、という時に、パチンコ屋に入ることがある。しかし、それは競技を楽しむためでも金を稼ぐためでもなく、「暇つぶし」7割、「パチンコをしている大勢の人の気持ちを理解しよう」3割だ。

 松尾は、暇つぶしとホール客の人間観察が目的でパチンコをやっているのである。彼は2000円を限度に1時間くらい遊びたいと考えているのであるが、ダイヤルを回しぱなしだと、あっという間に終ってしまうので、時間つぶしにならない。そこでのんびり周りを見ながらやっているというワケである。私も今、松尾と同じ目的でパチンコをやっている。それゆえ、松尾の気持ちがよくわかる。客が玉を買ってどう打とうと、客の勝手なのだ。
 昔の手打ち式パチンコは、時間つぶしができた。松尾は、手打ち式パチンコを回顧して、次のように記している。

 私が子供の頃のパチンコは、一つ一つレバーを弾いて、バネで跳ね上がる玉の力加減を調節する感触が、「操作、調節をしている」という実感を与えてくれていたように思う。その頃はおおらかで、大人たちにひっついて遊技場で打たせてもらった思い出がある。玉を入れる穴が開いていて、左手に数個の玉を握り、親指で一つ一つ繰り出して穴に入れてはレバーを弾くというリズムが楽しかった。そのリズムも自分次第で、店内でかかっているBGMによってそのテンポが変わったり、またそれで出来高が変わったりしたものだ。

 1954(昭和29)年に連発式パチンコが禁止と決まり、松尾の記憶している、「玉を入れる穴」にパチンコ玉を入れて打つパチンコ台になるのは、1955(昭和30)年のことである。松尾のいうBGMであるが、連発式禁止令が出た昭和29年に発売され、大ヒットした歌謡曲に「お富さん」(春日八郎歌・山崎正作詞・渡久地政信作曲)がある。古いパチンコ営業者は、この曲は、パチンコ屋がヒットさせた名曲であると語る。この曲を聴くと、思わず手打ち式ハンドルと連動し、明るい気分で弾くことができる。
 皿に玉を入れておけば、左手で穴に玉を入れずとも打てた連発式が禁止になったので、客が激減し、全国に4、5万軒あったといわれるパチンコ屋が1万軒台になった。従って、「お富さん」は、パチンコの歴史上、最大の事件を思い起こさせるエポックメーキングソングなのである。「すぎた昔を恨むじゃないが 風もしみるよ傷のあと」は、主として、廃業した日本人経営者の恨み節だった。在日コリアンの経営者が、営業を継続したのに反し、この影響で、天下の正村商会もパチンコ台製造を止めた。
 
 ここで、当時の福岡県稲築町のパチンコ屋を紹介しよう。
















福岡県稲築町のパチンコ屋


 写真手前に線路が写っている。このパチンコ屋は駅前か、線路沿いにあった店である。母屋が茅葺きで、「ホームランパチンコ」と書かれた看板のある部分は瓦で、民家をそのままパチンコ屋にしたようである。引き戸のガラス戸が開いていて、中で打つ客とそれを見ている男が数人いる。左端の白い服の男は米兵なのであろうか。ひときわ背が高い。
 この頃はまだ立って打つのがパチンコで、座って打つのがスマートボールであった。
 写真は、昭和30年代初頭と思われる。

 松尾貴史は、今のパチンコファンに、「本当に楽しいのか。開店する時間の2時間も前に寒空のもと並んで、1時間前に整理券をもらい、近くの喫茶店でモーニングを食べながらイメージトレーニングをするほどの面白さがあるのだろうか」と問いかけている。
 この疑問は、パチンコをギャンブルとしてとらえるか、遊技、競技としてとらえるかで、答えが違ってくる。ギャンブルならば、数時間で10万円を使ってもそれほど苦にならない。彼らは競技をしようとしているのではなく、ギャンブルに夢中になっているのである。

 現在、競輪・競馬の公営ギャンブル場はあっても、ギャンブルマシンが置かれているカジノは存在しない。技術とはいえない、たかが「ヘンソク打ち」で従業員から怒られるパチンコは、単なるギャンブルマシンである。駅前等の市中に置くよりも、カジノに置く方がふさわしい。
 
 松尾貴史は、カジノについてどのように考えているのであろうか。以下、その部分を引用する。

 そろそろ地方の活性化のためにカジノの建設が現実味を帯びてきた。以前はパチンコ業界の反対が強かったそうだが、最近はパチンコ系の資本が参入しようとしているという話も聞く。ギャンブルが盛り上がること自体には賛成でも反対でもないが、才覚や節度が求められる文化になってほしいものだ。

 松尾は、カジノに賛成でも反対でもない姿勢をとっている。「才覚や節度が求められる文化になってほしい」という願いを、ぜひ、マスコミで発表してほしい。となると、賛成でも反対でもないというスタンスは、成り立たない。
 私は、賭博心、射幸心は、人間の一部と考える。人間は競争するから進歩するのである。日本にギャンブルマシンの今のパチンコがある以上、カジノは絶対に必要である。パチンコはカジノが一番ふさわしい。カジノがないから、パチンコ依存症がなくならないのである。

 松尾貴史は、1960年生まれという。私より、10歳若い。手込めの手打ち式パチンコを実体験した最後の世代である。手打ち式パチンコが再び登場することはあり得ないが、パチンコの歴史は、これからも語り継がれるべきである。そのために、私はこのホームページをやっている。
 松尾貴史氏にぜひ、私のもつ、歴史的な100台のパチンコを見せたいものだ。松尾さん、敬称を略して、すみませんでした。貴方の藤本義一の物真似、画期的でした。「松尾貴史のちょっと違和感」、これからも楽しみにしております。

 


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