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展 示C  第3室  アトリエ前


パチンコの画期的発明、長崎一男のオール物

パチンコは、初め、台の中に玉が1個しかなく、それが外に出ることはなかった。
1937(昭和12)年、台から玉が出る。初めは数個の景品玉しか出なかったが、戦後になって特定の入賞口に入ると、15個、20個と玉の出る台が考案される。
だが、それは自動で補充されるのではなく、パチンコ台の裏で人間が1回ごとに補充していた。
それを自動化したのが、1950(昭和25)年にセンターケースの「オール物」の実用新案をとったパチンコメカの天才長崎一男である。この発明により、どの入賞口に入っても、10、15、20個と一定の玉数が払い出されるようになった。









長崎一男の実用新案図面を指さす私。




パチンコ二十ノ扉



1949(昭和24)年頃の鈴富商会製「二十ノ扉」である。「二十の扉」は、当時のNHKラジオの人気番組で、昭和22〜35年まで続いた。
「二十ノ扉」「幸運ノ扉」と記された中央のセンターケース上の入賞口に入賞すると、センターケースに溜っている18個の玉が払い出され、さらに裏面に溜っていたアウト玉の1個が払い出され、入賞の打ち玉が盤面に戻り、もう一度打つことができる。合計20個というわけである。
だがこの台は、長崎一男のオール物完成以前で、払い出されるごとに、裏にいる従業員がセンターケースに玉の補充を行わなければならなかった。



パチンコ大明神



これは長崎一男の、1950(昭和25)年のオール物の機構の発明以後の、昭和27年前後の「オール10」のパチンコ台である。
メーカーは不明。
ハッタリ(入賞口の飾り)にお社、灯明、きつね等々が描かれており、私は「パチンコ大明神」と名付けた。
当時、パチンコ業界では、長崎一男こそ、業界の繁栄をもたらした大明神であった。
コリントゲームを参考にパチンコ台から玉が出たのは1937(昭和12)年であるが、オール物はそれ以来の大発明であった。